記憶の中でずっと二人は生きて行ける
城からの撤退は無事に完了したのだが、戻りの列車へ乗るか乗らないかのうちに、バケツの水をひっくり返したような夕立に見舞われた。タイミング的には、本丸の奥まで攻めていたとしても、雨に祟られる事はなかったのかもしれないが、それにしても電車が立ち往生してしまうのではないかと思われるほどに激烈な土砂降りだった。どうにか、大事には至らず広島駅まで戻ることは出来たが。広島の町明かりが見えるようになる頃には、雨はすっかり上がっていた。
広島駅にたどり着いたのは19時少し前のことだ。広島のヤサとも言えるグランドサウナ広島は、この街の盛り場である流川、薬研堀界隈にある。都市規模を考えれば仕方の無いことだが、駅から盛り場までの距離が少しある。大阪市や京都市、福岡市などもそうだが、その昔から政令指定都市であったところは、往々にしてそうである。同じ政令市でも後発組になる岡山市、浜松市、静岡市、新潟市などは専ら駅周辺が繁華街になっているのと見事に好対照だ。
最初の頃はなかなか頭に入らなかった広島の地図(街が駅の南側に開けているというのになじめなかった)だが、最近ではようやく市内の主要ポイントの位置関係が分かるようになった。駅を出て、地下道を通って、川を渡り、路面電車沿いにしばらく歩くと、左手が目指す薬研堀のネオン街だ。以前には、駅からここにたどり着くのに一時間ほどかかったこともあったが、道が分かってしまえば歩けない距離でもない。
しかし、今回は心に期するものがあった。これまで何度も広島に来ているのに、私は未だにこの街でお好み焼きを食べたことがない。今度こそ、お好み焼きを食べようと、思っていた。B級グルメの範疇に入るお好み焼きとは言え、餃子の王将とか吉野家で食事を取るのと違い、多少敷居が高くなるのは事実だが、いつも食事場所としてあてにしていたパルコの吉野家が無くなっているのを見つけ、いよいよ踏ん切りもついたというものだ。パルコ界隈から少し裏道に入ったところのビルにある、お好み村というのに、ついに潜入を果たした。
雑居ビルのような、お世辞にも洒落ているとは言い難い垢抜けないビルの3フロアに、小規模のお好み焼き屋が十数店ほど入っている。いずれも、鉄板とその周りをカウンターで囲っただけの、お好み屋台をそのままぶち込んだような、零細で猥雑な雰囲気の店である。ある意味ではこのビルの雰囲気にふさわしいとも言える。こんな中でも、「八昌」のような、観光ガイドに載るほどの店は行列が出来ているし、それ以外の店でも席はほとんど埋まっており、なかなかの繁盛ぶりだ。一店、老夫婦の経営する店に比較的空きがあるのを見つけたが、他の客が修学旅行と思われる女子中学生の集団だったのに二の足を踏み、他をあたろうとしたところ、たまたま声をかけられた店「てっ平」に入った。3階の、一番奥まったところにある店だ。入ったとは言っても、椅子は廊下なんだか店舗なんだか分からないような位置に置かれている。
客は家族連れが多い。大半は観光客のようだ。観光でやってきているという高揚感のなせる業なのか、みな出されるお好み焼きに満足し、舌鼓を打っている。が、目の前の鉄板で焼かれているのは、よく見る大阪風のとは少し趣が違うものの、普通のお好み焼きである。果たしてそこまでありがたがるほどのものかと思いながら、自分の分が焼きあがるのを待っていたのだが、やっぱり祭り屋台やショッピングセンターのフードコートなどで食べられるのと大差ない、普通のお好み焼きだ。残念なことに、個人的には大阪風の方がなじみやすかったらしく、そのことも相まってさほどの感動は呼ばない。「まあこういうものか」というのが正直な感想だ。価格も、お好み村全体で目立って差はないようだが、決して安くはない。ただ、サービスは良い。
帰り際、先ほどの老夫婦の店の前を通ると、中学生と夫婦が食後の歓談モードに入っていた。たぶん、お互いの身の上(?)なんかを話したりしているのだろう。老夫婦の話す広島弁の素朴な響きに、あの輪の中に入れると良かったかなと、少し思う。
どちらかというと旅の思い出という色彩の強い夕食となったが、食事を済ませた後はグランドサウナへ向かう。これまでは前述の吉野家で食事を取ってから盛り場となっている区画へ進入していたのだが、今回は食事場所が変わったため、少し進入角度も変わった。その関係で、サウナにたどり着くまでに少してこずったが、十分ほど飲み屋と風俗店がない交ぜになったエリアをうろついた末、グランドサウナにたどり着いた。どうも今夜は客が多いようで、カプセルの空きが少ない。まあそちらは泊まれさえすればどうでも良いのだけれど、グランドサウナ名物・屋上風呂に見先客がいたりで、もう一つ堪能できなかったのが残念だ。
移動の長時間化が避けられない18きっぷ旅においては、それでも物見遊山の時間を確保するために、早起きを余儀なくされる場合が多いのだけれど、今回に限ってはそういうこともない。2日目唯一の目的地は、平和記念資料館。もちろん博物館だから、開館時間というものがある。それが午前8時30分。この種の施設としてはかなり早い方だが、少なくとも未明に行動を開始しなければならないということはない。
目が覚めたのは午前7時少し過ぎ。まだ行動開始には少し早いので、一夜を明かしたカプセルの中で、早朝アニメを見ながらダラダラ過ごす。「遠くへ行きたい」が始まったところで、一度浴場に向かい、洗顔、歯磨きを済ませた後、屋上風呂でしばしの朝風呂を楽しむ。結局、グランドサウナを出たのが8時少し前のことだ。ここから平和記念公園までは徒歩での移動だが、30分とはかからない。
途中で、現在は島病院が建っている真の爆心地に立ち寄る。一般に、爆心地は原爆ドームの場所だと解釈されることが多いが、実際の爆心地は、百数十メートル離れたこの病院の敷地辺りである。66年前の8月も、この場所には同じ病院が建っていたが、建物も名前も当時からは変わっている。原爆は、この地点の上空580メートルほどのところで爆発したのだという。思わず、空を見上げる。600メートル弱の距離を推し量るためだったのか、その時のことを想像するためだったのか、自分でも良く分からない。
■平和記念資料館
平和記念資料館に入館するのは、これで3回目だ。こんなところに来てまで料金設定を気にするのはさもしいが、たった50円の入館料で多くのことを学べるのは、やはり良い。
今回は、平和への願いをさておくわけではないが、原爆開発の背景や、その科学的理論、原爆投下に至るまでの各国の政治的駆け引きを中心に、展示を眺めた。用途が用途なだけに、原爆、水爆、中性子爆弾とも、合理的な計算・設計によって作られていることに、慄然とさせられる。
原爆投下後の資料を展示するフロアは、被爆者のマネキンをはじめとして大人になった今でも恐怖を感じる展示物も多いのだが、今回に関しては、このセクションはさらっと流して終わった感じである。
平和記念公園から広島駅までとなると、少々距離がある。そこで、これも今回はじめてとなるが、路面電車を利用。駅に向かう場合は乗るべき系統が分かりやすいのがよい。運賃も150円と安上がりだ。ただ、電車に乗ってから気がついたのだが、私は未だに広島城の中に入ったことがなかったのだった。今回訪問しておけば良かったと、少し後悔する思いもあるにはあったが、そのうちにまた広島へやってくることもあるだろう。
9:46の糸崎行きに乗る。予定より1本早い列車ではあるが、乗り継ぎの関係から名古屋への到着時刻は当初予定と変わらない。糸崎で岡山行きに乗り換え、眺めの待ち時間が発生する岡山駅で昼食。岡山駅からは相生行きに乗り、相生駅で姫路行きの赤穂線に接続。姫路駅では野洲行きの新快速が待っていたが、10分余りの時間を待てば米原経由長浜行きの新快速もある。急いで野洲行きに乗っても、結局は野洲での待ちの後に、この後発新快速に乗り換えることになるため、米原までずっと座っていられるであろう、長浜行きを待ち、米原で浜松行き新快速に乗り換えて名古屋に着。やはり5回程度の乗継が生じるのは仕方が無いだろう。
関西圏に入るまでは、距離の割に時間がかかるのだが、姫路以東の移動は非常にスムーズである。神戸・大阪かあたりなら、もちろん新幹線の方が圧倒的に早いのだけれど、苦にするほど遠くはないとも言える。最後に残った1回分の18きっぷは、神戸・大阪の日帰り旅行に使おうと、帰路の、エアコン不調の蒸し暑い車中で考えていた。
広島駅にたどり着いたのは19時少し前のことだ。広島のヤサとも言えるグランドサウナ広島は、この街の盛り場である流川、薬研堀界隈にある。都市規模を考えれば仕方の無いことだが、駅から盛り場までの距離が少しある。大阪市や京都市、福岡市などもそうだが、その昔から政令指定都市であったところは、往々にしてそうである。同じ政令市でも後発組になる岡山市、浜松市、静岡市、新潟市などは専ら駅周辺が繁華街になっているのと見事に好対照だ。
最初の頃はなかなか頭に入らなかった広島の地図(街が駅の南側に開けているというのになじめなかった)だが、最近ではようやく市内の主要ポイントの位置関係が分かるようになった。駅を出て、地下道を通って、川を渡り、路面電車沿いにしばらく歩くと、左手が目指す薬研堀のネオン街だ。以前には、駅からここにたどり着くのに一時間ほどかかったこともあったが、道が分かってしまえば歩けない距離でもない。
しかし、今回は心に期するものがあった。これまで何度も広島に来ているのに、私は未だにこの街でお好み焼きを食べたことがない。今度こそ、お好み焼きを食べようと、思っていた。B級グルメの範疇に入るお好み焼きとは言え、餃子の王将とか吉野家で食事を取るのと違い、多少敷居が高くなるのは事実だが、いつも食事場所としてあてにしていたパルコの吉野家が無くなっているのを見つけ、いよいよ踏ん切りもついたというものだ。パルコ界隈から少し裏道に入ったところのビルにある、お好み村というのに、ついに潜入を果たした。
雑居ビルのような、お世辞にも洒落ているとは言い難い垢抜けないビルの3フロアに、小規模のお好み焼き屋が十数店ほど入っている。いずれも、鉄板とその周りをカウンターで囲っただけの、お好み屋台をそのままぶち込んだような、零細で猥雑な雰囲気の店である。ある意味ではこのビルの雰囲気にふさわしいとも言える。こんな中でも、「八昌」のような、観光ガイドに載るほどの店は行列が出来ているし、それ以外の店でも席はほとんど埋まっており、なかなかの繁盛ぶりだ。一店、老夫婦の経営する店に比較的空きがあるのを見つけたが、他の客が修学旅行と思われる女子中学生の集団だったのに二の足を踏み、他をあたろうとしたところ、たまたま声をかけられた店「てっ平」に入った。3階の、一番奥まったところにある店だ。入ったとは言っても、椅子は廊下なんだか店舗なんだか分からないような位置に置かれている。
客は家族連れが多い。大半は観光客のようだ。観光でやってきているという高揚感のなせる業なのか、みな出されるお好み焼きに満足し、舌鼓を打っている。が、目の前の鉄板で焼かれているのは、よく見る大阪風のとは少し趣が違うものの、普通のお好み焼きである。果たしてそこまでありがたがるほどのものかと思いながら、自分の分が焼きあがるのを待っていたのだが、やっぱり祭り屋台やショッピングセンターのフードコートなどで食べられるのと大差ない、普通のお好み焼きだ。残念なことに、個人的には大阪風の方がなじみやすかったらしく、そのことも相まってさほどの感動は呼ばない。「まあこういうものか」というのが正直な感想だ。価格も、お好み村全体で目立って差はないようだが、決して安くはない。ただ、サービスは良い。
帰り際、先ほどの老夫婦の店の前を通ると、中学生と夫婦が食後の歓談モードに入っていた。たぶん、お互いの身の上(?)なんかを話したりしているのだろう。老夫婦の話す広島弁の素朴な響きに、あの輪の中に入れると良かったかなと、少し思う。
どちらかというと旅の思い出という色彩の強い夕食となったが、食事を済ませた後はグランドサウナへ向かう。これまでは前述の吉野家で食事を取ってから盛り場となっている区画へ進入していたのだが、今回は食事場所が変わったため、少し進入角度も変わった。その関係で、サウナにたどり着くまでに少してこずったが、十分ほど飲み屋と風俗店がない交ぜになったエリアをうろついた末、グランドサウナにたどり着いた。どうも今夜は客が多いようで、カプセルの空きが少ない。まあそちらは泊まれさえすればどうでも良いのだけれど、グランドサウナ名物・屋上風呂に見先客がいたりで、もう一つ堪能できなかったのが残念だ。
移動の長時間化が避けられない18きっぷ旅においては、それでも物見遊山の時間を確保するために、早起きを余儀なくされる場合が多いのだけれど、今回に限ってはそういうこともない。2日目唯一の目的地は、平和記念資料館。もちろん博物館だから、開館時間というものがある。それが午前8時30分。この種の施設としてはかなり早い方だが、少なくとも未明に行動を開始しなければならないということはない。目が覚めたのは午前7時少し過ぎ。まだ行動開始には少し早いので、一夜を明かしたカプセルの中で、早朝アニメを見ながらダラダラ過ごす。「遠くへ行きたい」が始まったところで、一度浴場に向かい、洗顔、歯磨きを済ませた後、屋上風呂でしばしの朝風呂を楽しむ。結局、グランドサウナを出たのが8時少し前のことだ。ここから平和記念公園までは徒歩での移動だが、30分とはかからない。
途中で、現在は島病院が建っている真の爆心地に立ち寄る。一般に、爆心地は原爆ドームの場所だと解釈されることが多いが、実際の爆心地は、百数十メートル離れたこの病院の敷地辺りである。66年前の8月も、この場所には同じ病院が建っていたが、建物も名前も当時からは変わっている。原爆は、この地点の上空580メートルほどのところで爆発したのだという。思わず、空を見上げる。600メートル弱の距離を推し量るためだったのか、その時のことを想像するためだったのか、自分でも良く分からない。■平和記念資料館
平和記念資料館に入館するのは、これで3回目だ。こんなところに来てまで料金設定を気にするのはさもしいが、たった50円の入館料で多くのことを学べるのは、やはり良い。
今回は、平和への願いをさておくわけではないが、原爆開発の背景や、その科学的理論、原爆投下に至るまでの各国の政治的駆け引きを中心に、展示を眺めた。用途が用途なだけに、原爆、水爆、中性子爆弾とも、合理的な計算・設計によって作られていることに、慄然とさせられる。
原爆投下後の資料を展示するフロアは、被爆者のマネキンをはじめとして大人になった今でも恐怖を感じる展示物も多いのだが、今回に関しては、このセクションはさらっと流して終わった感じである。
平和記念公園から広島駅までとなると、少々距離がある。そこで、これも今回はじめてとなるが、路面電車を利用。駅に向かう場合は乗るべき系統が分かりやすいのがよい。運賃も150円と安上がりだ。ただ、電車に乗ってから気がついたのだが、私は未だに広島城の中に入ったことがなかったのだった。今回訪問しておけば良かったと、少し後悔する思いもあるにはあったが、そのうちにまた広島へやってくることもあるだろう。
9:46の糸崎行きに乗る。予定より1本早い列車ではあるが、乗り継ぎの関係から名古屋への到着時刻は当初予定と変わらない。糸崎で岡山行きに乗り換え、眺めの待ち時間が発生する岡山駅で昼食。岡山駅からは相生行きに乗り、相生駅で姫路行きの赤穂線に接続。姫路駅では野洲行きの新快速が待っていたが、10分余りの時間を待てば米原経由長浜行きの新快速もある。急いで野洲行きに乗っても、結局は野洲での待ちの後に、この後発新快速に乗り換えることになるため、米原までずっと座っていられるであろう、長浜行きを待ち、米原で浜松行き新快速に乗り換えて名古屋に着。やはり5回程度の乗継が生じるのは仕方が無いだろう。
関西圏に入るまでは、距離の割に時間がかかるのだが、姫路以東の移動は非常にスムーズである。神戸・大阪かあたりなら、もちろん新幹線の方が圧倒的に早いのだけれど、苦にするほど遠くはないとも言える。最後に残った1回分の18きっぷは、神戸・大阪の日帰り旅行に使おうと、帰路の、エアコン不調の蒸し暑い車中で考えていた。
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